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日本二分脊椎・水頭症研究振興財団
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毎月、会員の皆様や一般の皆様からお寄せいただいたエッセーや
お手紙をご紹介していきます。
第一回目の今月は当財団の松本会長です。
『一粒の麦』
松本 悟人の悲しみや苦しみを憐れんだり、一定の距離を置いた上で同情するのは、誰もがやっている日常茶飯事であります。しかし、人の悲しみや喜びを吾がこととして受け止め、それらを分かち合える関係にある人々は、肉親の一部とか親友などごく限られた範囲になってしまいます。そのような深い愛情によって、悲しみは半減され、喜びは倍増されるのであります。
けれども、もっと深く掘り下げていくと、人生の歩みにおいては、たとえ肉親や親友にでも到底わかってもらえない、また分かち合うことのできない、自らの意思ではどうにも制御できない悲しみのあることも否定できません。第一自らが受けた運命は、自らがともかく背負わねばなりません。どんなに深い同情心があっても人の運命を他人が替わって果たすことは不可能であります。この意味においては、人はまさに自分の思い通りに生きているのではなく、生かされているという、全く受け身の人生を歩んでいるのではないでしょうか。自らが自らの意思のもとに、自らの人生を思い通りに貫くことは超人にしかできますまい。この受け身の人生は人である限り誰もが認めざるを得ない共通項と言えるのでありましょう。
脊髄の先天奇形の代表疾患としては、「二分脊椎」があります。さらに出生前、出生後、老若を問わず、様々な脳の病気の結果現れる病変に「水頭症」があります。これらの病気を患った方々は、自らの意思や能力ではどうにもならない場で、ひたすら運命として病気を受け止め、その病気を背負って人生を歩んでこられました。健康である人がどんなに同情しようとも、それらの方々の運命を変えたり、悲しみや苦しみの原因を分かち合うことはできません。けれども、どんな運命であれ、そのまま受け止め、背負い、隣人の善意に支えられて受け身の人生を辿っていることにおいては、肉体を病める人も、健やかな人も全く同じであり、その意味においてはお互い対等であります。
このような立場から、私どもは、「二分脊椎」と「水頭症」の予防や治療法が少しでも進むよう、またこれらの患者さん方に対し、生涯の療養が少しでもよくなるための様々な活動ができるよう財団を設立させていただきました。私どもの計画を実現するために、一人でも多くの方々から、同じ人間として、また隣人として手をさしのべていただきたいのであります。それがどんなにささやかな善意の輪でありましても、その輪は必ずや大きく拡がっていくと確信しています。
一粒の麦が死なずにそのまま置かれるならば、いつまでも一粒でしかあり得ません。もしその麦が大地に落ちるなら、落ちた麦は死んでも多くの新しい実が結ばれるでありましょう。財団の存在を知っていただいた方々の中で、その活動に共鳴していただき、ご協力をお願いできますならばそれに過ぎる喜びはありません。
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エッセー
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