不良のススメ
お酒を飲んでもいいですか?
いいですよ!
私の返事に、患者さんは満面の笑みをたたえ、横で奥さんが苦虫をつぶしたような顔をしていた。
先日、手術をした胃癌患者の退院間際の話である。七〇歳半ばの男性で、生来ネアカで陽気な酒好きの人である。内心は色々悩みや苦しみを抱えていたであろうが、癌と診断されても、周囲には落ち込んだ様子はみじんも見せず、手術をしたあとにお酒が飲めるかどうかだけを心配していた。
思わぬ出血もあったが胃全摘術は無事終了した。術後も問題なく経過し、食事量も増え退院となった。栄養指導も終わり退院の直前に部屋を訪ねた時に、横にいる奥さんを意識しながら私に「お酒を飲んでもいいですか」と聞いてきた。ご主人の酒癖で苦労した奥さんは駄目であるといって欲しかったようだ。奥さんには申し訳ないという気がしないでもなかったが、即座に「いいですよ」と答えた。
胃全摘をすると食事量は間違いなく減る。体重も十キロ近くはやせる。そのあとも元通りの体重には戻らない。
術後の食養生は大切である。少量頻回が原則。内容は栄養価が高く、消化の良いものと相場は決まっている。一般的にはお酒は禁止されることが多い。本人も家族もそう思っている。しかし、過量にさえならなければ禁止する理由はない。
私が胃全摘をした人で、大ジョッキ二杯を平気で呑む人もいる。ただ直接小腸に流れ込むので吸収がよくなり弱くなる人が多い。
といったような話をしながら、飲むことを許可したわけである。
大病を患ったり、手術を受けたりすると必要以上に色々なことに神経質になりがちである。また慢性疾患をもっている高齢者にも神経質な人は多い。
辛いものはダメ、アルコールはダメ、タバコはダメ、無理をしてはだめ、ゴルフはダメ、旅行はダメ、スポーツはダメ、重いものを持ってはダメ、ダメ出しのオンパレードである。しかし、本当にダメなものは少ない。
今はネットで情報は簡単に手に入る。病気の知識をいっぱい仕入れた家族から、色々質問がある。医療情報には制限事項が多く、全部を守ると、どのようにして毎日を送るのかと反対に心配になってくる。ほとんど制限はないこと、仮にあったとしても個人差があり本当かどうか分らない。結局は試してみないと分らないと説明する。そして、そんなに几帳面にならずに不良になるように諭す。
以下、「不良のススメ」を列挙する。
①食べたい時が食べる時、食べたいものが食べるもの
「オナラが出ていないのに食べてもいいですか」と尋ねる患者が多い。医学書には排ガスを認め、腹満がなくなってから食事を開始すると書いてある。
はたしてそうであろうか。わが身を振り返って胃の調子悪いとき、体調がすぐれぬ時、お腹をこわした時に食欲はない。排ガスに関係なく、体調が良くなると食欲がわいてくる。胃や腸の手術ならともかく、胆石などの消化管と関係の無い臓器であれば、手術による腸管への影響が取れれば自然と腸の動きが始まり、患者は空腹感を訴える。その時が経口開始時期であり、まさしく「食べたい時が食べる時」である。
術後の食事は、流動から粥、そして常食となる。病院によっては粥が、三分粥、五分粥、七分粥と細かく分かれているところもある。欧米なら、オートミールやブイヨンなどがある。要は硬い軟らかいの違いだけである。焼肉など、コッテリしたものが食べたい時もあるし、お茶漬けで済ませたい時もある。熱いご飯に卵かけが無性に食べたくなることもある。病院で和食・洋食・中華を選ぶことはできない。食べたいもので食欲がわくようなものなら何でもいい。
高脂血症で食事制限を真剣に守る高齢者も多いが、今から食事制限をしても寿命は変わらない。先の長いこどもの好き嫌いを直すことは大切だが、お年寄りはそんなことを気にする必要はない。好きなものだけ食べる「好き嫌いのススメ」を説いている。
②わがままのススメ
「頑張ってね」と病室を訪れる人は言う。「何をどう頑張るのか」と患者は戸惑う。
「頑張ってね」が「また来るからね」の枕詞としても、その言葉は患者には重い。痛みに耐え、むかつきに耐え、不満と不安と苦痛に耐えている。中には死を覚悟している患者もいる。実際、「頑張ってねと言われるほどつらいことはない」と悲しんだ末期ガンの患者もいた。
わが身を振り返っても、人に「頑張れ!」と言われて頑張れたためしがない。勉強でも運動でも仕事でも「頑張れ」と励まされ、「はいわかりました」と頑張る人がどれほどいるであろうか。体育会系でよく言われる「気力をふりしぼって頑張れ」は、軟弱なサッカー部員であった私にはもっとも嫌な言葉であった。今でも体力を気力で補えるわけはないと思っている。まして、病気で体力も気力も落ち込んでいる患者にそれを求めるのは酷である。
家族には励まさないことを念押しし、患者には頑張る必要のないこと、我慢する必要のないことを話し、むしろ「わがまま」を言うように勧めている。
③義理を欠くこと
お年寄りの中には昔気質の極めて義理堅い人がいる。自分が病気でありながら、周りの人に気を遣い、家族や親戚や友人にまで迷惑をかけてとすまなさそうにしている。しんどいしんどいといいながら、暑中見舞いや年賀状、盆暮れの挨拶をかかさない人もいる。
そんな人には、長生きのコツは、こけない事・体を冷やさないこと・義理を欠くこと、と説明するようにしている。
そして、人にどう思われようと自分がしたくないことはせずに、したいことだけをするようにも勧めている。怪訝な顔をする人もいるが、儀礼的なことをやめて気分が本当に楽になり、不眠が治ったと喜んだ人もいる。
以上、患者さんとお年寄りに贈る「不良のススメ」である。
掲載日:2010.06.17 | カテゴリー:医療エッセイ

